ここでフワちゃんの言ってるパントマイムとは、
見えない透明の壁を、まるで さわっているように見える遊び。
くらいの意味です。
もちろん実際には、壁なんか存在しません。
上の動画は自動再生されないので、再生ボタンを押して見てからこの先に進んでください。15秒くらいの短い動画です。たぶん音声はでません。
ここから先、上の動画を見た前提で話しますね。
コメントを見ると、
「パントマイム上手!」
「地味にうまいっ!」
「普通に上手なのウケる笑」
とポジティブな反応が見られます。
このことから、
アンミカさんの演技で、架空の壁の存在を信じられる。
と、言えそうです。
誰かが突然、こういう風に両手をペタペタしたときに反応に困ったら、「あ、パントマイムの壁やってるのね」って返せばOK。
自分でもやってみようと思うなら、パントマイムの壁のやり方で解説してあることくらいをおさえてくれれば、パントマイムの壁です。
他に、「パントマイム」という言葉が使われるネタに「かばんの固定」があります。
言葉で説明するより、見てもらった方が早いので、次の動画の0:15~0:22が、かばんの固定です。
これは「かばんが空中に止まっちゃった!!」ということを表現しています。
「お、パントマイムだ!!」と誰かが言った瞬間に、あなたが
「パントマイムって何?」って思ったのなら、たいてい壁かカバンのことです。
じゃあ、つまりパントマイムって
「見えない壁をさわっているように演じたり、カバンが空中で止まってるように演じること?」
これは半分正解で半分間違いです。
「パントマイム」という単語を使う人のほとんどは、「見えない壁をさわっているように演じたり、カバンが空中で止まってるように演じること」という意味で使っています。
見えない壁や動かないカバンを見せて人を楽しませる技、技術的な妙技という意味でパントマイムという言葉を使う。
もし、あなたのまわりがこういう方ばかりなら、少なくともこういう話題にはついていけるよ、だから今はこの認識でOK、という意味で半分正解。
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パントマイムとは?
半分間違いと言ったのは、見えない壁やカバンの固定は、「パントマイム」というジャンルの5%くらいしか表していないからです。
見えない壁もカバンの固定も、まぎれもなくパントマイムです。ですが、パントマイムのほんの一部であることもまた事実。
じゃぁ、パントマイムってなんぞや?ってことをちょっと探ってみましょう。
カンタンに言うと
”パントマイム”とは、言葉を使わないお芝居、演劇です。
言いかえると
パントマイムとは、主に話し言葉ではなく、動きや顔の表情を使ってコミュニケーションする芸術です。
「しゃべらないお芝居!?」
で、当然、思うのが
「パントマイムってしゃべっちゃいけないの?」という疑問。
この疑問に答える前に、もう少しだけパントマイムの背景を探らせてください。
パントマイムの語源
パントマイムという言葉の語源は
「すべてをマネる」という意味のギリシャ語
すべてを
と言われても分かりづらいですよね。例えば、こういうのです。
ひたすら通行人のマネをしていく
これも一つのパントマイムです。
言葉を使わずにマネだけで笑いとってるのが、大きな特徴です。
これが、発展して、壁をさわってる人のマネが、パントマイムの壁を生んだのかもしれません。
この人もマネが根底にありますけど、顔を白塗りしてるのは壁を発明した人に影響受けてそうな印象です。
映画の誕生から考える、パントマイムとは?
ところで、話変わりますけど、映画、見に行きますか?
今では、シーンにあわせて席が揺れたり、画面から飛び出してくる3D映像もあるくらいにまで発展した映画。しかし、およそ100年以上前の映画は、音声がありませんでした。
初期の映画は、フィルムに音をつける技術がなかったため、音声がない中、映像だけがひたすら流れてくる状態だったのです。なので、活弁士と呼ばれるナレーターのような方が、映像にあわせてその内容を毎回解説していました。
当然、俳優の声は聞こえません。
ちょっと想像してみてください。
iPhoneで映画を撮影するけど、音声は記録されない状態だったとしたら…
そこで必要となるのが、身体の動きや表情だけでストーリーや感情を伝える技術、つまりパントマイムです。
もし、この技術を習得したいと思ったら、無対象の教科書という教材がおすすめです。
パントマイムってしゃべっちゃいけないの?
で、ここに戻ってきます。
21世紀の今、「しゃべらずに」物語を伝えなければならないという制約はなくなりました。
そこで当然思うのが「しゃべってもいいんじゃないの?」ってこと。
ここでぼくなりの答えを言いますと
「しゃべってもOK」が答えになります。
でも、2021年のぼくはしゃべりません。
Facebookのアイコンで白黒の顔写真使ってる人っていますよね。
きっと、最初に撮った写真はカラーのはず、なのにわざわざ白黒にしています。
…なぜ?
映画も写真もTVも、最初に登場したときは白黒でした。デビュー当時のミッキーマウスは白黒でしたね。蒸気船動かしてるあいつです。
テクノロジーは白黒からはじまります。鉛筆だけの絵から、色鉛筆も使える世界へ。でも、今はカラーが当たり前。iPhoneで撮影されれば、最初はカラー写真で表示されます。
カラー写真があるのに、わざわざ白黒のプロフィール写真にしてるのは、なぜでしょう?さきほどの映画の話にも通じますが、なぜ彼らは技術的な制約がないのに色を捨て、モノクロームの世界を選んでいるのでしょうか。
初期のミッキーマウス気取りなんでしょうか。
いいえ、違います。それはきっと、色を捨てることで、逆に浮かび上がるモノがあるからです。
これは例えると、地図を見る時のイラストと航空写真の関係に似ています。
Google Mapsで地図を見る時、航空写真で見ると分かりづらくないですか?
航空写真
イラストの地図
技術的に可能だからと言って、すべてを見えるようにするのがいいというわけではありません。
この例で言うと、建物の細かいカタチや色をいちいち表されると返ってわかりづらくなります。
目的地にたどり着くまでに大切なのは次のうち、どちらですか?
①通り過ぎるビルのすべての色がわかること
②曲がる目印のセブンイレブンだけがわかること
当然、答えは後者。
建物のカタチや色を捨て、シンプルにしたイラストの方がわかりやすい。
具体的すぎるよりもある程度、抽象化した方が伝わる。
抽象化とは、必要なもの以外を捨てることです。
パントマイムの人が考えているのは、そういうことだったりします。
言葉があると、言葉の意味を追わなきゃいけない。
けど、一言もしゃべらないと、見ている人は「この人何考えている?」ってことだけに集中できます。
だからこそ、表現できることもあるのがパントマイムという世界です。
メラビアンの法則によると、人と人がコミュニケーションを図る際、影響を与えてるのは「言語情報7%」「聴覚情報38%」「視覚情報55%」らしいです。言語情報なんて しょせん7%です。
言葉という情報を捨てることで、より内面を、より感情を伝えることができます。
ぼく柴犬がめっちゃ好きなんですが、彼らは絶対に言葉をしゃべりませんよね。でも、だからといって「心を通わせることはできないのか」というと、そんなことはないはずです。
どこかにアゴをのせて、ショボーンってしてたら「元気ないのかな?」って思うし、しっぽ降って かけよってきたらウレシイのかなって感情を受け取れます。
赤ちゃんだって言葉はしゃべれないけど、意思は伝えられるし、それに対してこっちが思わず笑っちゃうこともあるはずです。
言語をしゃべらないってわかっているからこそ、わかりたいと思い「何考えているのかな?」って内面に入り込もうとする行為は誰もがしています。
しゃべらないことで、より内面に入りやすくなる。演者目線で言い換えると、内面を表現しやすくなる、ということです。
それと、もう一つ。しゃべらない一番強い理由が、言葉に頼らずにショーが成立したら国境を超えてショーができるというのがあります。
さきほどご覧いただいたYouTube動画の一番の特徴は、観客が日本人だけじゃないってことです。動画を見ながら、同じように笑えたのなら、その笑いは国境を超えたということになります。
以上をふまえると、
「なんでしゃべらないの?」に対するベストアンサーは
2歳までなら
「なんでしゃべらないんだろうねぇ〜」
3〜8歳なら
「しゃべらない星から来た人たちなんだよ」
9〜15歳なら
「しゃべらない笑い/表現の世界を追求してるんだよ」
16〜22歳なら
「Facebookアイコン、白黒の人おるやろ?あんな感じや。しゃべらないことがあいつらの美学や」
教養のある大人の間でこういう話題になったら、ぜひ、このページを宣伝してください。
申し遅れました。”しもとり ゆう”と申します。以後お見知りおきを。
パントマイムは
「しゃべってはいけない」のではなく、
「しゃべる必要がないからしゃべらない」
というのが、パントマイムに携わるほとんどの方の見解だと思います。
「しゃべった方がおもしろいなら、しゃべったらいいじゃん」というのは、あんだけしゃべってないゼロコのはまちゃんやうちの師匠も言ってました。
まぁ、中には、「しゃべらない表現だけがパントマイムである」と考える方もいるかもしれませんけどね…。
ぼくが今まで、しゃべらないことにこだわってきた理由は、主に2つ。
- 芸人飽和状態の今、自分だけの強みがほしかった
- 国境を越えたショーに強いあこがれがあったこと
22歳前後のとき、ぼくはこう思ってました。
「もし、しゃべる芸で稼げるようになっちゃったら、しゃべらない芸は一生できないだろうな。でも、その逆にしゃべらないで30分持たせられるようになったら、その後にしゃべっても30分もたせられるようにはできるだろう。なぜなら、しゃべらないで30分持たせることの方がはるかに難しいだろうから…」
そして、それはやっぱり間違ってませんでした。
でも、現実の世の中には「30分しゃべらずに爆笑をかっさらう芸」があります。そういう世界に足を踏み入れたかったんです。
それにもし、しゃべらずに30分楽しませるショーができれば、他の人にはない自分の強みになるかもしれない。だって、これからのグローバルな時代に、外国人が一人もいないほうがレア。だから、日本語がわからなくても楽しめるショーをできる人になりたいぞ。
というのが、今までぼくがしゃべらないことにこだわってきた大きな理由です。
そのせいで、稼げるようになるまでとても時間かかりました。ですが、日本語がわからない海外の人でも楽しめるショーができるようになりましたし、しゃべらないからこそ生まれる笑いもあるんだなって気づけたし、それを武器に子どもたちと心を通わせられているから後悔はしていません。
でも、本当はしゃべりも取り入れた作品もやってみたい。
なので今んところ、30分間一度もしゃべらないけど、この先しゃべる可能性もゼロではない。という感じです。
ぼくの話は、さておき。
パントマイムの人がしゃべらないのは、制約のせいではなく本人の意思で選択した結果である。という例を見ていただきました。
「しゃべってもパントマイム」と言い切れない本当の事情
ただ、「しゃべっても良い」と言っちゃうと大きな問題がでてきます。
最初の方で「パントマイムとは、言葉を使わないお芝居」と言ったのを覚えていらっしゃいますでしょうか。
にも関わらず、「しゃべってもパントマイム、しゃべらないのもパントマイム」ならこの定義が根底から覆されてしまいます。矛盾してますよね。
もし、言葉を使ってもパントマイムと呼べるなら、結局「何がパントマイムなのでしょうか?」
いったい何をしたらパントマイムなの?
そして、何をしなかったらパントマイムなの?
と、よくわからなくなってきちゃいます。
見えない壁の技術使ってたら、「あ、パントマイム」ってなるし
動かないカバンの技術を使ってたら、「あ、パントマイム」ってなる。
他に、エスカレーターを降りたり、その場で歩いているように見せるマイムウォークしてたら「あ、パントマイムですね」ってなります。
言語に頼らずに演じてたら、「パントマイムやないすか」ってなります。
けど、あとは?
しゃべってもパントマイムって言われるものってどんなものなの?
ここからは、パントマイムのプロがそれぞれ自分の答えを持つべき領域に入ってきます。
「しゃべっててもパントマイム」の「ても」にご注目ください。
ほとんどの方は、必ず「しゃべっても」という言い方をします。
つまり、「しゃべらないことがパントマイムの本質。でも、それに加えて『しゃべっても』パントマイムと呼べるものがあるよね。」というのが多くの見解のような気がします。
なので、これを読んでる多くの方は、
パントマイム
=黙劇
=言葉を使わないお芝居
=しゃべらずに意思を伝えるもの
=身体の動きや表情だけでストーリーや感情を伝える技術
という認識でOKです。「言葉を使わない」という定義で、パントマイムという語の90%くらいをカバーしています。
ここから先は、ぼくなりの答えです。10年やってきて、パントマイムってこういうことだよなぁ。パントマイムって言える範囲はこのへんだよなぁ。という考察。
まず、「しゃべってもパントマイムって言っていいの?」となると、「じゃぁ、しゃべるパントマイムって何よ?」ってことなんですが、それを探るために見てほしいのが、↓の芸。
これ、実はぼくの師匠です。
あやつり人形の芸なんですが、これは、とにかくしゃべりまくってます。
だんだん腹がよじれるほど笑えてくるので、ぜひ最後まで見ていただきたい。
まぁ、文章を読むのも疲れたでしょうから、ここいらで一つ、読むのをやめて、動画を14分くらい堪能してみてください。
見るとわかりますけど、ベースはパントマイムです。
最初の方で見えない糸を手やヒジに結んでますし、本人の身体は操り人形を演じているために常に揺れている。マニアックなところを言うと、頭の高さは常に同じ高さです。
ここまで行くと、パントマイムかパントマイムじゃないかの境界線を探すことの方が野暮なんじゃないか、という気さえしてきます。
再び、パントマイムとは?
ここからは、ぼく個人の考えです。
パントマイムの語源は、「全てを真似る」でした。
操り人形や、壁をさわってる人を真似ればパントマイム。
だったら「何もなくても、そこに何かがあるつもりで演じてる」なら しゃべっていようがいまいが、パントマイムって言えるんじゃないの?
もっと言うと、演じてる人のマネ、演技を通して、「見ている人にとって〇〇のように見えるんだったらパントマイム」っていうのが、現状ぼくの意見です。
冒頭のアンミカさんも、コメントを見るかぎり、壁があるように見えたというのが大方の見解っぽいですね。
- 壁を触っているようにみえるか
- ロープを引っ張ったり、ロープに引っ張られてるようにみえるか
- カバンが空中に止まっているようにみえるか
- 実際には後ろにさがってるのに前に歩いているようにみえるか(ムーンウォーク)
- 自分で操っているはずの人形が生きているようにみえるか(このあとでてきます)
- 演者が操り人形のようにみえるか
などなど。
なぜこのような考えた方になったかというと、自分が大道芸人としてパントマイムを突き詰めていくと”マジック”もある種ぼくの中ではパントマイムとも呼べるからです。
- 親指がとれた(ようにみえるか)
- 剣を飲み込んだ(ようにみえるか)
- 何もないところからハトがでてきた(ようにみえるか)
まぁ、こんなこと書くとマジックの方から怒られそうですが(笑)
でも、ぼくの中でマジックは「種や仕掛けが全くわからないような不思議、不可能性で人を楽しませる芸能」で、パントマイムは「やり方はバレバレでも〇〇のように見えるかというところを魅せる芸能」というはっきりとした違いがあります。
ぼくには人形を使って自分の右手を人形の右手として演じる芸があるのですが、終わったあとによく聞かれます。
「どうやって動かしてたんですか?」
はじめてこの質問をされたときは(え?、おれが動かしてるに決まってんじゃん…)って逆にびっくりしたんですが、けっこう頻繁に子どもたちに真面目に聞かれます。どうやら、ぼくが動かしているようには思えないほど、人形が本当に生きているように見えるみたいです。
そして、こう言います。
「おれが動かしてたんだよ」って。
「どうやって動かしてたんだろうね~?」って にごした方がいいのか、未だにベストアンサーがわかりません。ヒロシです。
コートに右手を入れる瞬間は、おおっぴらに見せているのに、次第に子どもたちは「人形が生きてるもの」と思って楽しんでくれます。 もちろん全ての人ではありません。残念ながら世の中にはタネがわかることに何も価値を感じない人が一定数いることも大道芸を通じて知りました。 それは、その人たちの価値観なんで、しょうがない。
でも、フィクションを楽しんでくれる人も当然います。
だから別に隠すつもりも1mmもない。やり方はバレバレでも、こっちの作ったフィクションに乗っかってくれれば、楽しめる。
フィクションという言葉がピンとこなければ、「〇〇ごっこ、〇〇遊び、〇〇のつもり、な世界」と置き換えてみてください。「マツコの知らない…」は、いりません。
ディズニーランドに行ったときに、アトラクションの世界観はどうでもいいから、スプラッシュマウンテンの降下するスリルだけが楽しみたい人もいます。閉園前は待ち時間が少ないからアトラクション乗りまくるような男子です。
けど、待ち時間も含めて、ディズニーの作ったフィクションに乗っかったほうが楽しいよねって人もいる。ディズニーランドの中では、ミッキーのカチューシャつけていても、プリンセスの格好をしても、許される。
めっちゃ手を降ってるミッキーに向かって、「暑いのに大変ですねぇ」と声をかけようものなら、翌日に遺体で発見されるというのは誰もがわかっています(←そんなことはない)
それは、ディズニーがフィクションを提供しているからです。
「と、言うことはぼくもフィクションを提供できれば人を楽しませられる人になれるのか!よぉ~し、壁をやってみよう!」となるのは、ちょっと早まりすぎです。
舞台関係者でもないかぎり、日常で見えない壁をやったところで
「なに、やってるの?」って言われる可能性が高い。
急に見えない壁をさわっても、見ている人は困惑します。
ここに演じる側になったときの落とし穴があります。
今まで見ている側の人間だった人が、演じる側の人間になったとき。見ている人をどうフィクションの世界に巻き込むか。
「こっちが、フィクション作ってるんだから、そっちもそのつもりで見てくれよ、な。よろしく頼むぜ」
ぼくが駆け出しの頃はこう思っていました。でも、これは怠慢です。世の中の他人は、そうカンタンにこっちが作り出したフィクションの世界についてきてくれません。
しっかりとした劇場なら、「そういうモノなんだ。」という前提で、見ている人は一生懸命フィクションに乗っかろうとします。
この作品では、鬼が人を食い殺す世界です。という前提があるなら「はいはい、そういう世界なのね」と見ている人はカンタンに受け入れてくれます。
この世界では、クモ人間になってしまった超人が市民を助けてくれます。となれば、「はいはい、そういう世界観ね」となんのツッコミもせず受け入れてくれます。
ロミオとジュリエットが死んだところで「ぎゃぁあああ、事件よ。警察に連絡だわ」と騒ぎ立てる人はいません。
劇場は、フィクションが作られることを前提とした場だからです。観客は、彼らの死が舞台上の作り物であることを知っています。暗転後にはムクッと立ち上がって、終演後には魚民や庄やで焼き鳥食べながらビール飲んでることも知っています。(完全に余談ですが、エリザベス朝時代の観客は、悪魔が舞台に姿を現すと劇場から逃げ出したらしいです)
劇場に足を踏み入れることは、フィクションを受け入れることと同義です。
しかし、日常の延長で友だちの前でいきなりパントマイムのみえない壁を披露しても、たいてい冷ややかな反応をされます。
「いや、壁なんかねーし。」って言葉にはしなくても思われてる可能性が80%くらいです。それくらい、人は、こちらの作り出したフィクションを受け入れてはくれません。
バイト先で、「へぇ。パントマイムやってるんだ。ちょっと見せてよ」と言われ、見えない壁を演じようものなら「ふぅ〜ん。」っていう冷ややかな反応をされます。
「いやいや、『見せて』って言ったのそっちだよね。」と思うのも無理はありません。
普段の生活で、友だちや家族にパントマイムを仕掛けるなら前提を共有し、不思議を不思議としてプレゼンする力。いわば、フィクションへの導き方が必要になってきます。
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そのうち書くかもしれないし、書かないかもしれません
終わりに
パントマイムをはじめた人のきっかけに多いのが
「自分はうまいこと言えないし、しゃべりに自信はないけど、パントマイムだったらできそう」という理由です。
あなたがもし「自分はグイグイ人前に出るタイプじゃないけど、人を笑わせられる存在になりたいな~」と思っているならパントマイムはうってつけです。
「引っ込み思案だけど、本当は目立ちたい」という人は、パントマイムに向いています。
「マジックの絶対バレちゃいけないプレッシャーがすごくて…」という方は、パントマイムをやるべきです。
「しゃべらずに意思を伝えられるようになりたいです」というのであれば、パントマイムしかありません。
もし、この世界に足を踏み入れたいのなら、ぜひパントマイム教室に通ってみてください。
実は、ここに意図的に載せてないスクールもあります。そこは、不思議と「出身者がここ出身であることを明かしたがらない場所」なのであえて外しました。なので、ここにあげてるところのいずれかに通えば、間違いのないところばかりです。
もし、あなたの住んでいる地域が東京じゃないなら、zoomでパントマイムのレッスンできたらな〜ということも考えているので教えて下さい。ご予算があるなら、出張パントマイム教室も承ります。
まずは、一歩。パントマイムの教室に踏み出してみてください。そこから見える世界があるかもしれません。
パントマイムの世界へようこそ