ここ10年を少し詳しくみていこうと思います。
2009年 山本光洋氏にパントマイムを習い始める
2010年 日芸を卒業
2011年 自分の劇団を旗揚げ失敗
2012年 初大道芸 で撃沈
2013年 路上に立ち始める
2014年 “動きをつくる”を考える
2015年 演技力というものを磨く
2016年 はじめて投げ銭が入る
2017年 投げ銭が入り始める
2018年 初、海外大道芸で台湾に
2019年 本格的にこのサイト運営をスタート
これですね。
主に
の3つに分けました。
大学の頃のしもとりゆう
映画に出演するような役者、俳優になりたくて日本大学芸術学部演劇学科演技コースを受験。高3の現役で落ち、浪人を1年経て無事入学。僕の頃は一般入試の倍率が30倍くらいでした。
入学してからはカリスマ的な存在がうじゃうじゃしていて「人と同じやつは負け」みたいな感じで個性を競い合うような大学でした。(演技コースだけ?)ここで感じたことは多すぎてとても書ききれないので機会があればいずれ書きます。とりあえず4年間で変わった心境は、
「自分は人気者になれない」
「役者の名前で集めるような芝居でなくても表現がおもしろいところはたくさんある」
「自分が目指したいのはそっち」という感じです。
演劇界にいたしもとりゆう
演技コースの就職率は5%でして、みんなそれを笑ってるような感じだったので、当然就職はせず、卒業してもバイトをしながら表現を突き詰めるという生活を選びました。
具体的には卒業して1年後の2011年の3月末に自分の劇団を立ち上げ、演出兼出演という立場で公演を打つはずでした・・・
が、震災の影響で延期が決定。延期した日程では予定していた俳優が出演できない。というかこんな状況で公演することになんの意味があるんだ。という混乱の中、内容を差し替えた演目でしのぎ、そのまま活動休止。
この頃からだんだん表舞台にたちたい欲が半減、代わりに演出や作り手になりたい欲が倍増します。
そして、一度、誰かの元で演出を学ぼうと、当時衝撃を受けた劇団、ひょっとこ乱舞(現アマヤドリ)の演出助手を半年ほどやることに。
主催の広田淳一氏の演出能力と並外れた才能を目の当たりにし、「あぁ、俺団体を束ねる力ねぇわ」と劇団を大きくする夢を前向きにあきらめる。
2012年の9月、東京芸術劇場のストリートアーティストアカデミーのチラシを見て、そういえば大道芸やりたかったんだよな。と思い出し応募
大道芸界に足を踏み入れたしもとりゆう
2012年12月、はじめての大道芸。
途中でポロポロ帰る人続出で撃沈。
今まで観客を劇場に閉じ込めて自分の表現をみせてたかもしれないと心底反省し、同時に簡単そうに見えてた大道芸の世界に洗礼を受けた気がして、
おれ
最後まで目が離せないおもしろいもん作ってやろうじゃねぇか
と
2013年からゆるやかに路上での表現を模索。
あれほど周りに「やめるなよ」って止めてた自分が演劇を離れ1人になった経緯
その後、カンパニーデラシネラの稽古場助手や九十九一の公演に出演したりしてそれぞれの場で「動きをつくるにはどうすればよいのか?」「演技で人を引きつけるにはどうすればよいのか」を吸収する。
そんな傍らひたすら
この芸
がどうすればいいのかだけを徹底的に模索する。
最近ようやく今の流れで決定稿としていいんじゃないかという気になってくる。
と長くなりましたがこんな感じでございます。
しもとり ゆうのご紹介 2019年冬 / ②しもとりゆうのここ10年(このページ)