人のコンテンツでバズるな

1848万回再生されたオレ

「これ、しもとりさんすよね?めっちゃバズってます」

ここ3年くらいで、8人くらいから連絡をもらった。
教えてくれた動画はすべて同じ日に撮影されたもの。しかし、投稿者は全部バラバラだった。

ぼくにとって嬉しかったのは、久しぶりの先輩、後輩、同期、小学校の友人、大道芸仲間と連絡を取れるきっかけになったことだ。
久しぶりにSNS上で見かけたぼくに直接連絡をくれるだけでもうれしかった。ありがとう。

…でも、それ以外のことはなにもうれしくなかった。再生回数が何回だろうが、いいね!がいくつつこうが、どちらかと言うと「…またか」とあきれていた。

もちろん、ぼくのパフォーマンスがいろんな人に見られるのはうれしい。けど、そのことがぼくにとって何も変わらないってことがイヤだった。

ただ、最近その気持ちに変化が生じた。
今では「いいぞ、もっとやれ!」と思うようになっている。

勝手にあげられてイヤ

まず、なんで嫌だったかというと、
第一に、ぼくに見返りが何もない
第二に、人に知られていないことが大事!というぼくの信念に反するからだ。

ぼくへの見返りは?

「こんだけバズっても、オレになんの見返りもないやん…」
どんだけ、いいね!がつこうが、そこから「うちでやってくれませんか?」と仕事につながることは一切ない。
また、路上で人を集めるときに「この人、知ってる!だから見てみよう」とはならない。第一「知ってるから興味を持つ」という流れに頼らないために路上を選んでるというのもある。

画像検索すると100件くらいヒットするが、
Art それとも ゴミ?
なんてタイトルを見ると腹が立つ。

Art or waste? rate 1 - 10!

それに、この後言うけど、フォロワー数の増加を求めていない今はぼくになにも見返りがない
というのが第一の理由。

無名であること

第二の人に知られていないことが大事!と思ってる理由は、「流行れば廃る」と思っているからだ。
例えば、これを見たテレビプロデューサーが「うちの番組でパフォーマンス披露しませんか?」と依頼があったとする。(妄想の話だ)
テレビで放映された結果、仕事が2〜3件舞い込んだとしよう。(現実的な数字だろ?)

でも、これを次につなげるなにかが現状のぼくにはなにもない。それで終わりだ。

そして、テレビでぼくのことを知った人は、10年後同じことをしているぼくをみてこう言う。
「あいつ、まだあれやってんのかよ」

だったら、人知れず今日偶然目の前を通りかかってくれた生身の人間が「偶然見たけどおもしろかった」のほうが100倍うれしい。

ぼくは、10年後もこの芸をやっていたい。1日に稼げる額は少なくても、1年後も5年後も10年後も同じことをしていたい。瞬間風速的に、今すごく稼げることよりも、息の長い人生を送りたい。

ピコ太郎が10年後もPPAPしてるようなものだ。一度流行ると「あいつ、まだやってんのかよ」となるけど、毎日少人数相手にしていればそんなことは言われない。常に新しい存在として迎え入れられる。大道芸ならそれが可能だ。

向上心がないと言われればそれまでだが、今週も子どもが笑ってくれればそれでいい。


「演技で生計を立てたい」と願っていた大学時代、「今度芝居やるんで、来てください」とお願いするのが嫌だった。このお願いは言いかえれば、「ぼくを2時間見るために2000円払ってください。」って要求してるようなもの。

当然、そんなことを1年に何回も繰り返していれば、だんだん来てくれなくなる。それまで20人来てくれてた知り合いが、ぼくが芝居をやるたびに19人になり、18人になっていく。

そんなある日、悟った。
「ファンを増やすことはぼくには無理なんじゃないだろうか…?」

そして、それでも演技で生きていく術を模索するうちに大道芸にたどり着いた。
自分がやったことで笑ってくれる。それがしたかっただけのぼくに劇場は必要なかった。

路上でお客さんを集められるようになると、今まで苦しんでた「このお客さんは次も来てくれるかな?」という悩みが解消する。

新規客をいかに既存客(リピーター)に変えられるかがビジネスの基本だが、大道芸には新規客を既存客に変える努力は必要ない。常に路上にはぼくのことを知らない人で溢れている。
これが、ちょっとでも有名になると「あの人、路上で芸をするところまで落ちたのね」と言われる。
そう思われることを恐れて、ほとんどの人は大道芸をしなくなる。
ぼくが尊敬する芸人の一人であるが〜まるちょばも今ではほぼ大道芸をやっていない。オリンピックの開会式にまで出た人が、路上で芸を披露していたらさすがに「落ちたな」と思う人、何人かいるでしょ。

ぼくは、それが怖い。

フォローしたけど、「次のネタまだ?」と言われるのが怖い。
「パート1がおもしろかったからパート2楽しみにしてるよ!」と言われたところで、こっちからすれば、「えぇっと、今のところパート2の制作予定はありません」と申し訳ない気持ちになる。
「第一、パート1(このネタ)をつくるのに嘘偽りなく5年かかってるんだぜ。たった3分だけど、一つひとつの動きを磨くために5年かかって、パート1があるんだ。パート2つくるにしても5年はかかるよ。それでも待てる?」と聞かれて、「待てます」なんて言う人いないでしょ。

だったら、ず〜っと無名のままでいたほうがいい。
そんな「どうせ失恋して傷つくなら最初から恋なんてしたくない状態」なのが、第二の理由。

第一に、ぼくに見返りが何もない。
第二に、人に知られていないことが大事!というぼくの信念に反する

だから、嫌だった。

心境の変化

それから今、「いいぞ、もっとやれ」という気に変わった。

手元には、10個くらいのぼくの動画のURLリストがある。全て同じ日に撮影された同じ動画だ。でも、投稿者はバラバラ。

そして、興味深いことに、動画によって再生回数やいいね数に天と地ほどのばらつきがある。

ぼくが確認した中では、いいね!の最高数は350万閲覧数で表示されている最高は1848万回だった。でも、中には再生回数2000くらいでストップしてるものもある。

少し話はずれるけど、instagramの仕様がよくわからない。上のURLクリックしてみればわかると思うけど、ある動画は再生回数で表示されて、ある動画はいいねの数が表示されてるのはなんで?

誰か分かる人、この下のコメント欄で教えてケロ。

反応の違いを生むもの

同じ素材を扱ってるのに、どうしてここまで差が生まれるんだろう?

一番大きな差は、編集の仕方だ。
3分のネタのどこを切り取っているか。
13秒のものもあれば57秒のものもある。
ず〜っとカットしないで編集されたものもあれば、ところどころカットしてつなぎ合わせたものもある。
ある区間だけ再生速度をあげて早回しにしているものもあれば、全体的に再生速度をあげている動画もある。

それから、instagramの場合、投稿するときの文章でも差がつく。
バズ(多くの人が反応すること)を生み出してる動画は、コメントを促している。

「1〜10で評価してね」

…いや、勝手に審査委員長になってんじゃねぇよ。
と思わずにはいられないが、再生回数 1848万回という実績に免じてここは目をつむろう。

3分の演技のうち、どこをとりあげて、それがどれほどの再生回数を稼いだか。
それを知れることは、作り手のぼくのも参考になる。

ぼくのメリット

それから今「商店街のイベントとか保育園幼稚園でパフォーマンスしたいなー」と思っているのだけど、その営業ページに「350万人がいいねしたパフォーマンス」と書ける。

ぼくがつらつら「ぼくすごいんです、おもしろいんです。ぜひ使ってください」と言うよりも「350万人にいいねされました」と言った方が、何十倍何百倍もの説得力がある。これを社会的証明という。

そういう使い方ができるとわかってから、「いいぞ、もっとやれ」という気に変わった。

とは言っても今でも、嫌だなと言う気持ちはちょっぴりある。

てめぇこのやろう

動画に透かしなんか入れられると「てめぇ、何自分が権利握ってますみたいな顔してんだよ。人のふんどしで相撲とってるんじゃねぇよ」と胸ぐらをつかみたくなる。権利を主張できるのは、オレかあのとき日本で撮影してたやつかどっちかだろ。

でも、冷静に考えれば350万いいね!なんて逆立ちしたってぼくには達成できない数字だ。
その人のもともとのフォロワー数があってこその数字でもあるし、その人の編集技術があってこその数字でもある。と今では折り合いがついた。

心境を変えた映画

心境が変わってきたのは、ある映画を見たことも関係している。

マクドナルドの創業者の話で、『ファウンダー』っていう映画。
実話を元にした映画で、「レイ・クロックっていうおっさんがマクドナルドをどうやって大きくあんな巨大帝国にしてきたか」みたいな話。
マクドナルド兄弟が作ったシステムをレイ・クロックっておっさんが乗っ取って、ときに「おいおい、そんなやり方汚えじゃねぇか」って方法を使って大きくしていくストーリーが描かれている。
ちなみにマクドナルドの創業者と検索するとレイ・クロックがでてくる。
たぶん、半分以上の人がレイ・クロック嫌いになると思う。ぼくも見終わって、マクドナルド兄弟に自分を投影した。

でも、レイ・クロックがいなければここまで大きくならなかったのも事実。

ネットフリックス入ってたら見れます↓
https://www.netflix.com/title/80101899

投稿者のノウハウがなければ350万いいね!なんて達成できなかったのも事実だ。ぼくが投稿したところでその数字には達しなかっただろう。
この編集の仕方だから、ここまでバズったんだろうし、この短さまで縮めて世に出すことはぼくにはできなかった…

ならば、権利を主張したり、取り下げたりすることよりも、
そのコンテンツの「いいね!」の数とかシェア数を、単純に社会的証明としてサイトに載せよう。

そう思うことにした。
それに、多くの投稿者は外国人だ。だから、人に知られていない状態からは変化ナシと結論づいた。

きっと、この先もいろんな人に使われる。ぼくが望む望まないに関わらず…。
たぶん、以下2つの点から、コンテンツの素材としてが使いやすいのだと思う。
①音声が必要ないこと
②どんなことをしているのか誰にでもわかりやすいこと

パントマイムだから動きでわかる。だから自分の好きな音楽にかぶせてこの動画を投稿できる。すると、自分のオリジナルコンテンツの出来上がり!
って思ってんのかしらんけど、撲滅は不可能だから共存を選んだ。

以上のことから、ぼくのメリットが見つかり、無名の状態であることに変わりはなさそうなことがわかってきたので、「いいぞ、もっとやれ」という気に変わった。

なので、もし、あなたのまわりでイベント企画してる人がいたら、そっとぼくのことを教えてくれませんか?

「このパフォーマンス、こんだけ「いいね!」もらってるんすよ。商店街とか市区町村のイベント、お楽しみ会、なんかのパーティーに出張パフォーマンスいかがすか?」
って。

そんで、このページ宣伝してくれるとうれしいっす。

そんじゃーねー。

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