あれほど周りに「やめるなよ」って止めてた自分が演劇を離れ1人になった経緯

路上にたつまで

役者を目指していたぼくはいつしか大道芸人を目指すことになります。ちょっと振り返って書いてみます。

演劇から離れた理由

『そもそも役者をやりたくて演技を学ぶ大学に入ったんだけど、大学3年で擬似的に後輩からの人気者になった時、なんとなく華やかな世界に憧れてここに来た気がしたのに「あれ?俺、人気者になりたいなんて思ってないぞ」って気づいちゃいまして。なんか黄色い声援がぼく自身に向けられたものではなくて、先輩っていう外枠に向けられたもののような気がして居心地が悪かったんです。

ぼくは人気者にはなれないなって心の底から悟りました。

僕は人気者になれない

でもじゃぁ誰かに自分のことを認めて欲しいのかな、ってことも思ったけど、客としてそういう人たちの舞台をたくさんみてるうちに嫌気がしてきちゃって。
若さ特有の「俺を見てくれー」って喚く感じ。
「せっかく”演劇”みにきたのに、お前のアピールを見にきたわけじゃねーよ」って思うこともいくつかあって。

なのに自分がいざ舞台に立つ時には「俺を見てくれー!」って思ってる自分がいる。他人の「俺を見てくれー」は嫌だけど、自分は「俺を見てくれー」って思うのかよ。と矛盾をかかえた自分に対して嫌悪感を抱いきちゃいます。
そのうち「役者って承認欲求が強いだけのなにもできない存在だなぁ」って思ってきちゃったんです。

そこで悩んでも悩んでもやっぱり人前でなにかやりたいって気持ちはなくならなかった。

ある時、「和を乱して目立とうとするのはよくないけど、自分ひとりの舞台ならいいかな」って思いまして1人でやってる人をたくさんみます。

  • 吹越満
  • イッセー尾形
  • 九十九一

などなど。そんな中、引っ込み思案だけど目立ちたがり屋だった自分にとってやりたくなったのがパントマイムだったんです。

1人になった俺。

そんで大学のときに演劇でやりたかったことは一通り試せたので、次のフィールドは路上かなと決めました。

路上なら誰かと待ち合わせる必要もないし、スタッフさんとのやりとりもない、その時たまたまその場を歩いた人がお客さんになればいいなーと思った。

もちろん最初は誰も止まらなかったし、勇気がでなくて現地で荷物もってきてるのに「今日はやめとこ」って日とかが大半だった。でも、何故か自分にはこれしかない気がして、「ここで先に進めなきゃ俺はここ止まりだ」って何度も挫折しながら必死に路上に立ちました。

来る日も来る日も収入は0って日が4年くらい続いた。やってもやっても人は立ち止まらない。たまに立ち止まったら立ち止まったで、今度は「え?立ち止まってもなんもおもしろいものは見せられないぜ!?」ってただ焦るだけの日とかもあって。必死で通行人を立ち止めたかったのに、止まったら止まったで観てることがプレッシャーで何もできない。今考えるとオカシな話だけど。

ぼくにはパントマイムしかできないから、しゃべらないってことでどれだけもがけるかぼくが先に進める唯一の道だと信じてました。
もともとが〜まるちょばとかカニカマ(小島屋万助さんと故本多愛也さんのユニット)が好きでしたし、パントマイムやってるんだから言葉の壁のない芸ってのをずっと目指して気がします。

しゃべったらぼくのアドバンテージは何?ってことに縛られて今の芸風になりました。

今じゃ随分遠回りしたなって思います笑

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